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KIGI×BUH Talk:02

キギ

表現の仕方が違うからずっと続けられる

3回に渡ってお送りするBooks under HotchkissからKIGIへのインタビューの第2回です。第1回では、うえさんが影響を受けた本やアイデアの出し方についてお伺いしました。今回は、KIGIの2人の出合いや一緒に仕事をするきっかけになったお話をうかがいます。

 

Talk:02 

KIGIの出合いと、2人でひとつのクリエイティビティ


 

 

 

なつかし(?)の貸本屋

【 BUH 】:ドラえもんは全く読んだことがないのに、『ハレンチ学園』なら読んだことがあるとおっしゃていたよしえさん。マンガはけっこう読んでたんですか。

 

【良 重】:中学校くらいまで結構読んでいましたね、少女マンガ。友達に借りては帰り道に読みながら帰ってました。

 

【 BUH 】:うえさんの、帰りの会で破られたドラえもんといい、読みたい気持ちがおさえられない子どもだったんですね、お2人とも(笑)そういえばよしえさんと私の世代は「貸本屋」というものがありましたね。

 

【良 重】:おじいちゃんがそうだった。よく私のためにも借りてくれていました。

 

【 BUH 】:よく成り立ってましたよね、貸本屋なんていう職業。若いみなさんに説明しますと戦後は小説や漫画単行本、月刊誌を安く貸し出す貸本の店がけっこうありました。いわばレンタルビデオ屋さんの先駆けですね。1950年代後半をピークにどんどん減っていってしまったのですが(遠い目)

 

ドラフト時代からのふたりの不思議な関係

 

【 BUH 】:ではお2人の話をおうかがいします。
入社された「ドラフト」では、まず最初はいろんな人とチームを組みますよね。

 

【植 原】:僕が最初下について仕事をしていたのは、当時からアートディレクターだった、渡部浩明さん、石崎路浩さん、そして日高英輝さんだった。

 

【 BUH 】:濃いメンバーだなぁ。

 

【植 原】:まあ、僕もぺーぺーなりに優秀だったので(笑)、いろんな人から「手伝え」と頼まれて、かなり仕事を抱えこむようになる。 その時に、その3人のアートディレクターには自分のアイデアを絶対通したい!と思うようになって。 それでよく、直接は一緒の仕事をしていなかったよしえさんにまず見てもらうようになったのです。よしえさんも当時もうアートディレクターで。具体的なアイデアとかを教えてくれたわけではないのですが、「こっちのほうがいいかな」とか意見をくれたりして。 内心自分もこっちかな、と思っているアイデアを「これがいいと思うんですよねーー!」って見せに行ったら「いい」って言ってくれたりして。

 

【 BUH 】:ほほえましい(笑)

 

【良 重】:そんな言い方で(笑)よく私のところに来てましたね。意外と他のデザイナーってしないんですよ、そういうこと。一緒に仕事してたりしたら別なんですけど。けど、とにかく彼はよく相談にきていました。

 

【植 原】:実は僕、学生時代もなにか作品をつくるとよく母親に見せていたんです。 どう?どう?って母親が的確な判断ができるわけでもないのに、自分のコンディションを自分で把握するために見せていたわけです。 リトマス試験紙みたいなもので。母親がその都度、「んー」とか「あー」とかそういう反応をする。

 

【一 同】:(笑)

 

【植 原】:でも何かしら反応するので、酸性なのかアルカリ性なのかくらいはわかる。そうやって自分のコンディションを確認しながらいろいろなものを作っていったんです。だから自分には常に相談相手が必要。当時はそれがよしえさんに集中していたんだなあと。

 

【 BUH 】:宮田さん(ドラフト代表の宮田織さん)に聞けばよかったのでは。

 

【植 原】:宮田さんは上司の上司だったから、そこ役職飛び越えて行っちゃうとややこしくなる。

 

【 BUH 】:サラリーマン的大人な判断。

 

【植 原】:それに宮田さんに聞くと必ず一回、絶対否定されますからね。 まず第一声が「ちがうでしょ」(笑)

 

上司からの「トイレ行くとき捕まえないで」

 

 

【良 重】:私がドラフトに入った時、社員は5人くらいだったので、いつも宮田さんに聞いていました。「これどうですか?」「これどうですか?」って。 私も相談に乗ってもらうのが好きなんです。 だけどだんだん宮田さんが忙しくなってしまって、捕まえられなくなっちゃった。 ある時に、 「俺がトイレ行く途中に捕まえるのやめてくれる?」 と言われてしまって(笑) 「まぁ確かに」って納得したんだけれど、やっぱり誰か一緒に相談しながら作って行くひとがいたらいいなってわたしも思っていたんですよね。

 

【植 原】:そうなんです。ある時ものすごく大阪弁の、口が立つ人がよしえさんの下についたんです。

 

【良 重】:とにかくツッコミがすごくて。もうほんと頭にきたことも(笑)

 

【一 同】:(笑)

 

【良 重】:頭にくるようなツッコミをたくさんされて、いじられて。

 

【植 原】:もちろん、悪気はないわけですよね。

 

【良 重】:悪気はない。ただそのツッコミが、それ冗談になってないでしょと。

 

【植 原】:つまり要するに、上司とアートディレクター、デザイナーって関係が成立してなかった。下についた人が皆、よしえさんにツッコミをいれちゃうから(笑)よしえさんはそういう関係ではできない。

 

【良 重】:そうそうそうそう(笑)

 

【植 原】:それで、下に人がついていなかった。それなのに当時、仙台にベーカリーレストラン&プロダクトショップ「caslon(キャスロン)」を開業するっていう仕事がきた。 やったことないようなことをすべてよしえさんが1人でやらなきゃいけない状況になったんです。 それを見ていて、僕はこの仕事一緒にやりたい、って手をあげたんです。

 

【 BUH 】:その仕事が2人の初めての仕事だったんですね。

 

【植 原】:1999年くらい。

 

【良 重】:本当に大変だったよね。

 

【植 原】:2人で一緒に仕事をやり初めてから、いくつも大変な仕事はあったわけですが、いちばん最初の「やってもやっても終わらない仕事」の思い出です(笑) その頃、グラフィックデザイナーがお店をつくるってことがありえない時代だったから、ほんとに手探りでした。 空間や世界観を作るってあまり無かった。

 

【 BUH 】:今は普通になったのにね。

 

【良 重】:つくるものごとに全部業者さんが違うわけですよ。バンダナは?玄関マットは?って。今みたいにインターネットが発達してなかったので、ぜんぶイエローページで調べるという。

 

【一 同】:(笑)

 

【良 重】:エプロンにする布ひとつとっても、日暮里まで探しに行ったり。とにかく要領が悪かった。

 

激動の最中にD-BROS本格始動

 

     D-BROS

 

 

【植 原】:朝の4時に帰って家帰って少しだけ寝て会社にまた来るという生活が数ヶ月続いて。どっちがアートディレクターでデザイナーということにもとらわれずに、作ってちょっと迷ったらお互い相手にパス、というキャッチボールのような仕事の仕方をしていたんです。そこで呼吸が合った。 caslonも大変だったんですが、caslonのオープンにあわせてD-BROS(注:1995年にDRAFTから発足した自社プロダクトブランド) の商品も作ったんです。

 

【 BUH 】:すごい(笑)

 

【良 重】:もう本当に大変で。毎日やらなきゃいけないことを書きだすと30個くらいあって。それを消していってもまたその日に30個くらいやることが湧いてくるという。今だったらもっとぱぱっとできるようなことも経験がなかったのでとにかく時間がかかった。

 

【 BUH 】:誰もやったことがなかったんですね、当時は。

 

【植 原】:ロゴをつくってそれがキャラクター化し変化していく、っていうアイデアが出てきたから出来たような感じです。caslonは。

 

【 BUH 】:アイデアってとにかくいっぱい出すんですか?

 

【植 原】:当時はそうだったけど、今はもうサっと出る。

 

【 BUH 】:サっと出る(笑)

 

【植 原】:サっと出ちゃう。

 

【 BUH 】:ディレクションする人と、アウトプットをとにかく一生懸命やる人のちがいってありますよね。これまでやってきて、最終判断はわりとよしえさん?

 

【植 原】:そうでもない。話し合いになることが多いです。こういう考え方だからこれがいいと。理屈も言うし感覚的なことも言う。最終的に意見が分かれそうだったら—-、声が大きいほうが勝つ。思いが強いほうが勝つという。

 

【一 同】:(笑)

 

【植 原】:じゃあいいよって。

 

【良 重】:でもそれに対して、どちらかがすごく「イヤだな」って思ったら両方なしです。

 

【植 原】:とことん話してケンカしないとやっていられないというか。お互いがかばいあったり自分を守りあったりするともう終わり。だから全部言う。

 

2人の表現が違うから続けられる

【 BUH 】:普通そういう関係だと、どこかで「もういいや」って別々に活動することになったりするじゃないですか。2人ともものをつくって、自分の表現を世の中に伝えたいと思っている人なのだから。

 

【植 原】:それが、お互い表現がかぶらないから、続けられる。昔はまだそういう危険性が高い時期もありましたよ。というのも、僕も自分の表現を模索している時期だったので。たとえば、自分にもイラストっていう表現はありなんじゃないかって思ったり。今は自分の表現の主流って、考え方やアイデアをつくったあと、タイポグラフィとか写真で表現をつくっていく。一方でよしえさんのほうがイラストをデザインと結びつけて考えている。全然違うから綱引きにならない。

 

【良 重】:あとはやっぱり、仕事を1人でやるのは大変。 1人だったら絶対にこの仕事やらなかった、ということが多くて。 2人だと「もう1人同じように大変な思いをしている」と思うと全然ちがう。そういう意味では一緒にやった方が楽なのです。 判断したり、一緒に考える人間が1人もいないとちょっと難しいなと思いますね。

 

【植 原】:世の中の仕事はどんどん複雑になってきているので「アートディレクター=先生」のようになってしまう感じが、時代的に違うのではと思ったりします。 グラフィック業界の外を見渡すと2人でやっている人っていますしね。

 

【 BUH 】:あーSANAAとかね

 

【植 原】:あとウェブ業界って良い意味でもっとぐちゃぐちゃしている気がする。それがある種現象みたいにできあがっていく感じがおもしろい。 だからピンでやらなくても、ひとつの現象を複数で作っていくようなシチュエーションって今の時代よくある。あの人はこうしてる、自分もこうしてる、役割分担が曖昧なそういうぼんやりした中で自分の輪郭をつくっていくのも、これからのありかたかもしれない。

 

【 BUH 】:2人のコンビネーションが「これでいける」って確信にいたったのはやっぱりcaslon?

 

【植 原】:そうですね。Caslonのあと1年後にune nana coolの仕事をやって、2000年にD-BROSでフラワーベース、とミラーに映り込むカップ&ソーサーができてから方向性が見えて。そこで宮田さんに認めてもらったんです。

     フラワーベース

 

 

【 BUH 】:宮田さんの存在は大きいですね。宮田さんという巨大な存在に2人で立ち向かっていったという(笑)

 

【植 原】:2人で組んでいるのはある意味、宮田さんを押し倒すため。多数決で勝つじゃないですか。…というのもある。

 

【一 同】:(笑)

 

【良 重】:わたしはうえさんとやる前は宮田さんがアートディレクターで自分がデザイナーだった。宮田さんのやり方を見ていたときに、同じ方法ができるのだろうかと思った時期もあったけれど、ある時にふと、まわりのアートディレクターは宮田さんのやり方を吸収できている感じがわかったのです。 でも自分は吸収しきれていなくて、だから苦手なところを克服するより得意なものを伸ばそうと思った。 自分が苦手なところは、それが得意な人とやろうと。 だから一緒に組むことというのは抵抗がなくて、むしろ楽。あと2人だと緊張感がなくなるのです。1人で、自分にプレッシャーを与えたくないというか(笑)

 

【植 原】:2人だと、自分が何か思いついたときにとりあえず相手にパスを投げてみる。そうすると受け取ったよしえさんは、「やる?」ってなって、動き始めてくれたりもする。自分の熱量がまだ80%くらいなのにパスを送ると100%に温まったパスが帰ってくる。

 

【良 重】:はやくやらないと間に合わないよ、みたいな。

 

【一 同】:(笑)

 

【良 重】:カマかけられたとは気づかずに、やるならやらないと間に合わないよ!って。

 

【 BUH 】:2人がかけあってできあがっていくんですね。

 

【植 原】:チョコレート展でショートフィルムを作ったんですけど、実はそれもそんなスタートだったんです。

 

【 BUH 】:それは気になりますね。
では、そのショートフィルムの話と今のKIGIの話はインタビュー第3回で。お楽しみに!
 
 
第3回へつづく
 
 
 
取材:Hotchkiss 水口克夫/金子杏菜/久松陽一
編集:Hotchkiss 鈴木麻友美

キギ

株式会社DRAFTを経て、2012年にキギを共同設立。企業やブランド、ショップなどのアートディレクション、D-BROS等の商品デザイン、プロダクトブランドKIKOFや、洋服のブランドCACUMAの立ち上げなどあらゆるジャンルを横断しながら、グラフィックの新しいあり方を探し生み続けている。 
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