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スソアキコ×BUH Talk:03

スソアキコ

スソアキコさんのでき方

死や闇の近さ、両親の影響から趣味と嗜好、そして世界観ができあがっていった少女時代のスソさん。 今の活動に至る古墳好きのきっかけは何だったのでしょうか。お話を伺いました。

 

Talk:03 古墳好きは1日にしてならず、誕生編


「共感」できてしまう衝撃が、出合いのはじまり

【 BUH 】:前回のお話を聞いていると、自分の「好きなもの」に自覚的になったのは、大学を出てからということでしょうか?

 

【ス ソ】:そうなんです。大学時代や資生堂勤務時代はまだ「古墳好き」ではないんです。会社を辞めて、フリーになってから、友人と飲んでいる時に「暗黒神話」の話でもりあがり、当時のことを思い出したんですね。それで、改めて「自分はああゆうものが好きだったなぁ」と。フリーになって時間にも余裕ができて、またインターネットでいろんなことが調べやすい時代になったんですね。昔はそこまで追求しなかったことを調べ直したり、読み直したり、ノートに書き出したりするようになっていったんです。

 

【 BUH 】:なるほど。会社を辞めてすぐに帽子をつくりはじめ、古墳にもハマったのですか?

 

【ス ソ】:そうですね。会社を辞めてすぐに帽子の教室に入りました。「帽子でやってこう」と思っていたんでしょうね。ただ「古墳好き」として賛同者や仲間ができたのはそこから10年ほど経ってから。そんな時に、岡本太郎が「火焔土器がすごくいい」と言っているのを知ったんです。

 

【 BUH 】:カエン土器?

 

【ス ソ】:はい、火焔土器です。友人たちと縄文時代の文化ってすごいよね、気になるよねという話をしていた時に、その火焔土器の話になり。「火焔土器の出土は新潟だ!東京から近い!」とすぐに見に行ったのがすべてのきっかけです。
行く前は「へぇ~」で終わるかな、なんて思ってたのですが、行ってみると想像以上に面白かった。えっ!こんなにすごいの?こんなにすごいものをなぜみんな見にこないの?という気持ちになりましたね。

 

火炎土器
(参照)平凡社 陶器全集29 縄文土器・土偶 八幡一郎

 

【 BUH 】:へぇ(笑)

 

【ス ソ】:(土器をかざってあるような)博物館ってガラガラだったんです。こんなすごいものを展示しているのにもったいないですね、と博物館の人に伝えたところ、「実は海外ではすごく人気でヨーロッパからの貸し出し依頼もとても多いんですよ」と。それでよけい興味を持ってしまった。じゃあ、次の見学は「暗黒神話」に出てくる「装飾古墳」を見に行こう!という話になったんです。装飾古墳って古墳の中に絵が描いてあるんです。

 

【 BUH 】:こんな綺麗なんですか?

装飾古墳

 (参照)小学館ブック・オブ・ブックス 日本の美術45 装飾古墳 水尾比呂志

 

【ス ソ】:そう。色も残っています。これは九州にあるのですが、九州出身の友人らと見に行ったところまたしても「えっこんなすごいものが日本にあるの?」と。「なんでだれも見にこないの?」と(笑)高松塚古墳とかキトラ古墳などは有名だけれど、こっちのほうがすごいんじゃないかという感想を抱いたわけです。

 

【 BUH 】:そうなんですねぇ。

 

【ス ソ】:高松塚古墳とかキトラ古墳は渡来文化。韓国や中国エリアの影響を受けていて、たぶんそちらの職人さんが描いたもの。翻って装飾古墳というのはもっと土着なのです。のちに火焔土器とかにつながる、情熱みたいなものが込められているんです。それを感じて驚いたというかなんかこう、血が騒いだんですよね。

 

【 BUH 】:その火焔土器との出合いの衝撃って、具体的に言うとどんな感じでしたか?

 

【ス ソ】:海外の大きな博物館行くと「すごいなぁ」って思うことはあるけれど、自分や自分の周りの人が作るものからはだいぶ離れていて、民族の違いとか文化の違いを感じることが多いですよね。火焔土器とか装飾古墳を見ると、「自分の先祖の誰かが作ったんだ」という気持ちになれる。自分もつくった人の気持ちに共感できるというか。
作りたいって思った感覚がわかってしまうことが衝撃だった気がします。例えばピラミッドのスフィンクスとか棺って、自分とは違うものって感じでしょ?けれど、日本の古代のものって、「こう作りたかった」「そうしたかった」気持ちが分かる気がする。あとは、誰かに見せるために計算して作ったのではなく、自然に手が動いてこういう造詣になったんだろうな、という軌跡がわかるんです。

 

【 BUH 】:そういうのって、いろんな背景があってそのバックボーンの知識みたいなのって必要じゃないですか?例えば自分は、仏像に興味持ったのが相当最近。若い時は忙しいし、お寺行っても「はぁ」という思いで見ていたのですが、だんだん背景がわかってくると見方が変わってくる。たとえば、阿修羅像を見て、きれいだなと思う。そして「円空」を見た時に、円空の粗い感じが分かるなぁ、とか。そういう背景やちがいがわかってやっと仏像の良さに気がついたのが最近です。

 

【ス ソ】:なるほど。自分の場合、それよりはもっと、もっと根っこにある「衝動的に何か作る」、その気持ちが分かると楽しめると思います。

 

【 BUH 】:それはやっぱり、根源的に遡るから共感できるということ?

 

【ス ソ】:そうですね。あと、そもそも「背景」はわからないんです。初めて火焔土器を見に行った時は知識も全くないし、単に縄文時代ってこともあんまり知らないまま、なんか「岡本太郎がいいって言ってたよね」ぐらいの感覚だったんです(笑)ノリで行ったみたものの、行って初めて、こんな大昔に作ったものに感動するってなんだろうという衝撃を感じましたね。完成度というより、情熱みたいなものに感動したという感じ。しかも土器や古墳って今でいうような「作家」の作品ではなくて、作ったのは「村のお母さん」とかなわけです。普通のただの人が、誰かに見せるためでなく、ただ作り上げたものにこんなにびっくりするのはなんででだろう、と。作品じゃないのに、作品以上の何かをそこに見てしまったのがきっかけですね。そこから、「そういえば縄文時代ってどういう時代?」とか「古墳時代ってなんだっけ?」という流れです。ともかく最初は、ただ「もの」を見てびっくりした。

 

【 BUH 】:へえ。

 

【ス ソ】:「どうしてこんなことをやったのか」「なんのためにやったのか」とかあとからあとから疑問が湧いてきて、急に調べ始めましたね。

 

【 BUH 】:最初に火焔土器で、次は装飾古墳っていう、なんというか…

 

【ス ソ】:はい、行き当たりばったり(笑)

 

【 BUH 】:行き当たりばったりではあるけれど、最初のその2つのチョイスが結構大事だったわけですね。もしそこで違うものを見ていたら、キトラ古墳とかに心を奪われていた可能性もある。そうなるとちょっと違うわけですよね。

 

【ス ソ】:全然違うわけです。

 

【 BUH 】:ね(笑)

 

【ス ソ】:九州で装飾古墳を見た次は、もう少し身近なところに行こうと、千葉の「加曽利貝塚」や埼玉の「埼玉(さきたま)古墳群」に行きました。その後またちょっと遠出して秋田に行ったり奈良に行ったり。その見学の旅を11回くらいしましたね。

 

【 BUH 】:一気に?

 

【ス ソ】:年に2回です。5、6年の間に。古墳や土器に興味がある人と行って、「日本ってこんなことがあったんだ」という歴史もこともわかってきたりしましたね。あと海外の博物館の1品だけの出土品とはちがい、土器や土偶って大量にでてきてて、生活が見える感じがするんですよね。

 

【 BUH 】:なるほど。自分の感覚だと、土器や土偶は形として見えやすいですが古墳はむずかしいですよね。

 

【ス ソ】:わかりにくいですよね。

 

【 BUH 】:想像力相当要りますよね。

 

【ス ソ】:そうなんです。でも小さいものから大きいものまでものすごいバリエーションがあって、中に入れるところもあるんですよ。
それで入るとまた…

 

【 BUH 】:いいんだ(笑)

 

【ス ソ】:全然違う!見てるだけだとただの「小山」だけど、中に入るとちがうわけです。

 

【 BUH 】:入れないものもあるじゃないですか。

 

【ス ソ】:入れないものも多いですね。

 

【 BUH 】:それは登ったり降りたりすることがまた楽しかったりするんですか?

 

【ス ソ】:そうです。意外と(笑)

 

【 BUH 】:それが気になっていました、なんでこの人は登ったり降りたりしてこんなに興奮してるんだろうって(笑)

 

【ス ソ】:そうでしょ?これは実際に体感すると面白いんですで。行った人は必ず「すごいワクワクする」といって、走り出しますからね。あの古墳の傾斜を体感するともう「ワーイ」っていう感じです。

スクリーンショット 2015-11-27 18.53.02
 (参照)スソアキコのひとり古墳部

 

【一 同】:(笑)

 

【ス ソ】:本当に単純だけれど、高いところに登ると遠くの山が見えたり、川が見えたりする。それだけで「あれさっきまで何にも見えなかったのに!ワーイ!」っていう、たとえるとジャングルジムに登ったような感じになるんじゃないでしょうか。

 

「ありがとうモース博士(笑)」

 

【ス ソ】:ちなみに、BUH中の人2号の出身はどちらですか?
(※BUH中の人は今回2名、1号は水口で2号はHothkissデザイナーの金子です)

 

【 BUH 】:私横浜市、青葉区です。

 

【ス ソ】:じゃあ、あの貝塚天国ですね。

 

【 BUH 】:えっそうなんですか?(笑)

 

【ス ソ】:横浜はすごいですよ。縄文いっぱいありますよ。

 

【 BUH 】:貝塚の楽しみ方は何なんですか?

 

【ス ソ】:貝塚はやっぱりその時代の「名残」が楽しめますよね。あと土器や土偶とかの地方差というか地域差?が如実にわかるんです。貝塚は規模が本当にバラバラで、数メートル規模のところもあれば、大きいところは300メートル×200メートルレベルの大規模貝塚もたくさんある。それぐらいの貝塚を残したということは、それだけ大きな集落があったしるし。つまり、常に30件くらい家があって、そうなるとみんなが集まって政(まつりごと)やおまじない的な行事をしていた痕跡もあったりする。

 

【 BUH 】:たとえば大森貝塚はどう楽しめるんですか?

 

【ス ソ】:大森貝塚はもうほとんど跡が残っていませんが、モース博士が横浜に来て東大に赴任する電車の車内でまさに、「あ、あそこに貝塚がある」って見つけた場所なんです。日本の考古学の始まりのきっかけになった場所だから、「モース博士ありがとう」みたいな。

【 BUH 】:(大森貝塚の写真を見ながら)ちゃんと公園になっていて、モース博士の碑も建ってますね。

 

【ス ソ】:そうなんです。近年何度か改めて発掘調査をして、新しい出土物があったりするのでそのことを記録するプレートも建ってます。
モース博士って歴史の授業でみんな習うし、東京の人は近いけれど、行かないじゃないですか。

 

【 BUH 】:はい。行ったほうがいいですか?

 

【ス ソ】:はい…私は行くと感激する。

 

【 BUH 】:(笑)

 

【ス ソ】:モースって小学校も出てないんですよ。すごい変わった子どもだったようで、学校になじめなくて、ずっとお母さんが勉強を教えていた。それでも研究者になれたんです。いろいろ調べると、明治時代って国として招待した外国人がたくさん来日して、日本のあちこちにいたんですね。そのひとたちの影響って実は大きいんです。考古学だけじゃなくてナウマン象を発見したナウマン博士もそうだし、ウィリアム・ゴーランドっていう造幣局でお金を作ってた人も、古墳の写真をいっぱい残している。

 

【 BUH 】:じゃあ江戸時代があってよかったってことだよね。

 

【ス ソ】:うーん…どうなんだろう。でも日本って侵略されずによく残ったなぁと思います。明治政府のやり方が、よかったのか悪かったのかの判断は難しいですよね。侍の世界からいきなり他の国に合わせるという。

 

【 BUH 】:客観的な視点が入ったことで、いろいろ見えたこともあるわけですよね。ちなみにスソさんはご自身で発掘もするんですか?

 

【ス ソ】:発掘は、アルバイトとかで募集してるのに入り込まないとできなくて、それが人気なんです。割と時給がいいし。すぐ埋まっちゃってなかなか潜り込めない。発掘の発表会もひんぱんにあるのですが、「平日の奈良」とかで行くチャンスもなかなかない。

 

【 BUH 】:古代が好きというと、恐竜とか化石時代まで行くんじゃないですか?

 

【ス ソ】:いや、小学校の時は石川県の内灘砂丘を掘ってましたよ。サメの化石が出ないかと思って。

 

【 BUH 】:そうえいば先日三内丸山遺跡に行きました。すごく楽しくて長時間見入ってしまいましたね。土偶が、年代別に並べてあったり、竪穴式住居の穴がそのまま残ってたりとか。

 

【ス ソ】:東北の縄文時代ってすごいですよ。とにかく青森県の全体に遺跡地がいっぱいある。

 

【 BUH 】:寒い地域ですが…

 

【ス ソ】:縄文後期はあったかかったんですよ。いまより5度くらい。

 

【 BUH 】:へえ!

 

【ス ソ】:それで獣がたくさんとれた。オットセイも食べていたし、アシカも。もちろん鹿とかイノシシも多かった。あと、ドングリの木も育てて、遺伝子操作していたようです。

 

【 BUH 】:遺伝子操作!縄文時代に!?

 

【ス ソ】:操作というとおおげさですが、甘くて美味しいのだけを寄り集めて、それを育ててより甘くしていったようです。

 

【 BUH 】:なるほど…たしかにそれは「操作」ですね。知りませんでした。
では今回のインタビューはここらへんまでにして、次回は再度選んでいただいた本のお話にもどりましょう。
 
 
取材:Hotchkiss 水口克夫/金子杏菜
 
編集:Hotchkiss 鈴木麻友美
 
 

スソアキコ

帽子作家/イラストレーター
石川県生まれ。東京在住。金沢美術工芸大学商業デザイン科卒業。資生堂宣伝部を経て、帽子デザイナー平田暁夫氏に師事し、1991年よりフリーランスとして活動。2001年より2009年まで美術同人誌『四月と十月』に参加。同人仲間と古墳部活動を行い同人誌に連載(10回で終了)。2007年頃より「ひとり古墳部」を開始し、2008年よりウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』にて連載を開始する。
http://www.1101.com/kofun/ http://www.suso.biz/